4-2.富士

富士 フジ

駿河國に富士山ありて,萬葉集に不盡,布士等にも作り,竹取物語に不死,常陸風土記に福慈に作る。 又和名抄「富士郡・浮志」と載せ,後に富士庄起る。又延喜式,富士郡に福知神社あり, フクシ,フクチ,フチ等の條参照。此の外下野國安蘇郡に富士邑あり。鶴岡文書に「佐野庄富地郷」とあり。

  1. 和邇部姓 駿河國の豪族にして富士郡より起り,和邇部臣の後と稱す。 浅間大社の大宮司家にして,初代豊麿は延暦十四年,富士郡大領となりしと傳へ,その系は次の如しと云ふ。 (系図省略)
  2. 氏人 大同類聚方に「左久良薬,又駿河薬は富知山彦等の所傳」と載せ,下りて東鑑巻二十一に 富士四郎,五十一に富士三郎五郎等見ゆ。
    又東鑑,文治二年六月七日條に「一,富士領の事,件の年貢は早く進濟すべし,御領たるべきの由, 先々仰せられ了る。定めて存知すべき歟」とあるは,此の浅間神領,當時院御領に収められて, 其の下司を宮司神主に附せられしにて,又同書文治五年七月五日條に 「駿河國富士御領,帝釋院に田地を寄附せらる。是れ奥州征伐祈祷也。江間小四郎これを沙汰す」 と載せ,又浅間社文書に「駿河國下島郷地頭職の事,去月八日國宣の旨に任せ, 富士大宮司に打渡し奉る所也。仍って渡状・件の如し。建武四年十月二日,景隆判,明仙判」など見ゆ。
    大宮司義尊は南朝に属し,その男義勝は系図に,(以下略)
  3. 橘姓 東鏡,文治三年十二月十日條に「橘次為茂・富士郡田所職を賜ふ」事見ゆ。 橘條三四八六頁に詳か也。
  4. 平姓 駿河國富士郡の豪族にして,南條と云ひ,鎌倉の頃,南條時光あり。一に富士姓と云ふ。 奥州南部の重臣福士氏(本姓不知,後鵜飼,不來方殿)も此の流かと云ふ。 不來方,鵜飼,乳井,福士,南條第二項,同十二項等を見よ。
  5. 秀郷流藤原姓足利氏族 下野國安蘇郡富士邑より起る。 足利出羽守俊綱の三男下野守忠行(忠國)・富士源太左衛門と稱す。(中略)
    關八州古戰録に「佐野宗綱は富士源太を招き云々」など見ゆるは此の氏人か。
  6. 同上佐野氏族 また「佐野小次カ秀綱−源左衛門尉常春−常俊 (富士下野守,後大宮司と成る)」と云ふ。
  7. 雑載 高麗文書に富士宮内少輔殿を載せ,又大山阿夫利神社傳説に富士小嶽太郎あり。 又武蔵に存す。


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